ノルウェー語の勉強のために通っている言語カフェではフリートークの時間があり、仕事の話になることが何度かありました。
先日、ウクライナからの避難民の方が以前、自分はキエフにある美術館で学芸員として勤務をしていて、年間数十箇所の美術館に足を運んでいたという話をされました。また、学芸員に与えられる世界中の美術館で有効なフリーパスを見せてくれて、これがあればどこでも無料で見ることができると話していました。その方は、真っ赤なセーターを着て、素敵な耳飾りをして、彼女自身がアーティストではないかと思うくらい綺麗に着飾っていました。
その風貌や話ぶりからいかに自分の仕事に誇りを持っていたか、そして現在住んでいる異国の地ではその知識や能力を活かせない悔しさがひしひしと伝わってきました。
また、昨日の日中の言語カフェでも、自国では歯科医として働いていたインド人の方、建設業務に関わっていたドイツ人の方、看護師として勤務していたイラン人の方と「以前の仕事について」というテーマで話をしました。
インド人の方は、ノルウェーとインドでは歯科医として勤務できる資格が異なるため、インドで歯科医としての実績があったとしても、数年間のコースの履修と実習を終えなければノルウェーで歯科医として働くとはできないそうです。ドイツの方はドイツ語や英語など複数の言語を話すことができるけれども、ノルウェー語のレベルが一定の基準を満たしていないため、ノルウェーで建設業務に関する仕事には就けていないそうでうす。イラン人の方は、看護師の仕事はきついこともあったが患者さんからのフィードバックがやりがいになっていたと話していました。
彼女たちの話からは、やはり自分のキャリアを活かせない悔しさと長期間自分の専門分野を離れることによるスキルの衰えを危惧した不安が伝わってきました。
私も先日受けた仕事の面接でノルウェー語の言語力が不十分という理由で不採用になりました。知識や経験はあるのにそれを生かすことができない、その悔しさを感じました。
ここに言語の壁、制度の壁が見えたような気がします。
そして、仕事とアイデンティティはイコールではないけれど深く結びついているということも改めて感じるところです。無職になって半年以上が経ち今、強く感じます。仕事をしていることで得られる貢献感、自分の専門知識や経験を生かせることとの喜び。それが自分のアイデンティティーや誇りを大きく支えていたのだと。
私のように自分の選択で外国に身を置いているのであればまだしも、ウクライナの人たちのようにそれを強要された人たち、あるいは家族のために移住してきた人たちの悔しさや焦燥感は計り知れません。
そして、太陽のほとんど見えない冬の間、そのことを直視するのは本当に辛いです。でも春に向けて少しずつ日が延びるように、できることは増えていく一方であるということに目を向けて、希望をもって歩めたらいいなと思います。
自分に関しては、自分の希望する職業につくことの大切さを実感したことで、キャリア教育の重要性を見直したいと思いました。また、何らかの理由で働くことのできない人たちの痛みを知ることができたことは大切な経験になりました。それをどう使っていくのか、考えていかなければなりません。







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